20250201_手放したら、夢がふくらんだ

わたしには夢があります。いっとき、このWebサイトにも記載していましたが、小学生が「プロ野球選手になりたい」と考えなしに言っているのとおんなじレベルだったので、小っ恥ずかしくなって消しました。

それは「障害者アート」に関わる仕事をすること、です。

知的障害、自閉症、その他何らかの障害を持っている人たちで、筆を持たせたら度肝を抜くような個性がいっぱいの絵を生み出す人々。

障害者アートには、アール・ブリュットと呼ばれ、画廊が高い評価をつける作品や作家も存在しています。現代美術のことを知らなくても、作品を見ていて「本当に敵わないな〜」と思うのです。
原体験は、子どもの時に目を持っていかれた、ミスタードーナツの店舗に貼られた、女の子の絵です。むくのき学園がその辺の学校ではないというのは子ども心にわかりました。

敵わないと思うのは、例えば「会話ができない」という特性があったとして、絵を描くことは誰かと、社会とコミュニケーションをとる手段として、本当に本当に大きな存在で、大事なことだからだと思っています。
それはわたしも少しだけわかるところがあります。

わたしも絵を描き、発達障害(自閉症スペクトラム)の当事者でもあります。

子どもの頃は、ろくすっぽ会話ができなかったので、絵を描くことが社会とコミュニケーションをとる手段でした。誰からも褒めてもらえないし、「何を考えているのかわからない」と言われてましたが、絵だけは褒められました。長いこと、絵を描くことをとても大事にしていました。

実際問題、歳を重ねるごとに、コミュニケーションが徐々にできるようになってきているのと、(健常者には遠く及びませんが)自分の絵は形を変えてきましたがそれが社会に通用しなくなっていました。
コミュニケーション能力を身につけて、絵を描かなくていい自分になりたい」と話したこともあって、それはわたしの目指すところとしては正しい方向なのかもとも。

2024年末に、絵を描く活動をやめることにしました。

もう誰かのために描く、ということはしませんし、展示もしません。「絵を描いています」と言うのもやめ、事業、個人活動から趣味・草野球のレベルまで落としました。元からスキルは草野球以下だったのですが、あきらめきれずにいました。

絵を描くことを大事にしすぎるあまり、固執していたのです。
相応のコミュニケーション能力がついたという自信はないです。
それでも案外すっぱりあきらめられました。

こうして絵を描くのをやめて、なんもない中年が爆誕したわけですが、心は明るく生きやすくなっています。

ちょうど仕事が忙しくなってきて、がむしゃらに仕事に集中していると、小っ恥ずかしいと言って長いこと心の奥にしまわれていた、障害者アートの夢が目覚めたのです。

昔なんとなく障害者アートの夢の話をして「あなたに障害福祉の仕事をすることなんて無理だ」と言われたことがあります。

それは一理あって、健常者や動物とすらやり取りできないわたしが、十人十色の特性や個性を持った障害者に寄り添うことができるか、と言われたら自信がありません。自分だって障害者なのに。

「障害者アート」の仕事についても、施設に入って、絵の先生をやるのか、画廊の人をやるのか、事務や広報の仕事をやるのか。なにせ、考えなしに「プロ野球選手になりたい」と言っているようなもの。障害者アートが持つ圧倒的なチカラに変な憧れを抱いているだけじゃないのか。

知識があるわけではない。
ギャラリーに行ったり、本を読んだりしているけれど、オタクになれてるわけでもない。
それでも、芸術として楽しむだけではなく、障害者アート作品が持つ圧倒的な力を、何とかして、コミュニケーションとして届けられないか、できることはないか。

ささやかだった夢が急激に膨らんだきっかけは、「ヘラルボニー」というスタートアップ企業に出会ったことです。

ヘラルボニー社は、契約している福祉施設・作家の、障害者アート作品を、ギャラリーで展示し紹介することにとどまらず、洋服などの自社商品の販売や、企業とコラボレーションして、広告やCSRのビジュアル展開をするという、アートエージェンシーで、急激に知名度を上げています。
出会いは、カラフルでおしゃれなシャツ。この柄が、障害者アートだなんて誰が想像したか。

障害者アートが、たくさんの人の心や生活にスッと入る形で、コミュニケーションができる、それが障害者の作家に、収入やよろこびとして還元される、こんな仕組みが世の中にあるなんて。だんだん気になって気になってしょうがなくなり、応援し始めました。早速、東急ハンズに売っていたボールペンを買いました。

まだわたしは出会って日が浅いですが、この会社は障害者やマイノリティをめぐる、社会を変える力があると確信しました。

叶うなら、そこで障害者アートの仕事がしたい。
これまでにやってきたデザインやマーケティング、表現の力と、社会でネガティブな問題となっている発達障害当事者としての視座で、障害者アートを通してより多くの生活者にポジティブなコミュニケーションを取り、世の中を変えたい。

とはいうものの、2月現在「夢のままで置いておく」のがいいか「自分の目標に切り替えて具体的な行動をとる」か、まだ迷っています。わたしはもう若くないので、迷ったり回り道したりする時間がありません。誰かに相談するのはまだ早い気がして、まず星が読める占い師に近々見てもらう予定です。

現実からキャリアを見てみると、今のNPO法人の仕事の次は、障害者雇用で清掃の仕事。なんもない障害者の中年を雇うところなんてどこにもないし、ましてや、ヘラルボニー社のような若くて勢いのあるスタートアップの会社なんて、無理なんじゃないかと。障害者アートの活動をしている会社や法人、団体はいろいろあるとはいえ。

わたしはヘラルボニー社を表す、「異彩」という尖った言葉で救われました。毎日毎日普通になりたいと、ン十年考えていたのに、不思議とそう考えることがだいぶ減りました。もう少しで解き放たれそうな気がしていて、何か自分の個性を、障害者だから出せる個性を、異彩を出していきたい。

なので、ヘラルボニー社に何らかのアクションをしたい。ので、手紙を書きたいと思います。
実はすでに、noteのコンテスト出品で、手紙の下書きを書いて世に出しています。

ヘラルボニーへの手紙(の下書き)
※本稿と内容が重複しているところがあります。

まだ小学生とあまり変わらなくても、夢を持つと、毎日が彩りであふれているような気がする。

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