♪家族で焼肉GOGOGO〜って歌あったよね。
歳を重ねるとそんなのんきなことを言ってられない。
事情を詳しくは書かないでおきます。
わたしは家族(両親)の支援を受けながら生きているけれど、100%味方ではないということはつくづくしみじみと感じてしまう事があります。
それで、両親、わたし、妹、妹の夫、こんな感じでそろっちゃうと居心地が悪くなってしまう。もうみんな高齢で開催されなくなったけど、親戚の集まりは、もっと、座っててもお尻が浮いてしまうような感覚になるのだろうな…。
焼肉の会は、親にいいことがあったので、子どもたちでお祝いしてほしいというリクエストのもとに開催されました。この居心地の悪さは初めから予想できていて、会の話が出たときに「食事代はいくらか出すから、参加するかは考えさせてほしい」と伝えました。
行くかどうか悩み、ライブ配信の占い枠で相談してみました。
結果は「行きなさい」。行かない選択をするのは、心が狭いことをしようとしている。親御さんの身になって考えたら、どう思う?と聞かれました。
覚悟を決め、お金は少ないけど作りました。
それでも、開催が迫ると不安が募ってしまい、会がある週バイト以外のスケジュールをすべて断り、ライブ配信のライバーに不安をこぼしました。ライバーも、居合わせた他のリスナーも、それなりに歳を重ねた方が多く、気持ちを受け止めてくださり、心強かったです。途中で逃げるのもありだよ、という選択肢を教えてくれた友人も。
さて当日の鶴橋駅。集合したらわたしは、残り4人が和気あいあいとしているなか、感情ごと存在を「無」にしていました。
適当にコミュニケーションを取れば、存在は「無」にならないかもしれないけれど、余計なことを言ってなにか嫌なことを言われる可能性もあるし。
「無」になったまま、わたしは淡々と肉を焼き、肉を食べ、酒を飲みました。味覚やお腹はとってもよろこんでいます。ほかの感情はシャットアウトして、参加してる感を出して容赦なく食べました。こうやって書くと、むっちゃずうずうしい(笑)
平日でもお客さんがいっぱいの店だったけど、店員さんに安定感があったため余計な不安が募ることがなかったのもよかったです。
嫌な空気になるくらいなら「無」になって自分を守るという方法は、この会だけではなくて、多分どこかしこでやってます。大人としてこの態度がいいことなのかは疑問です。つらい思いをしながら笑顔を作り愛想をふりまくべきだったのかもしれない、そうやって家族や周りの人と接している人もいっぱいいるはずなのに。
残念ながら精神的に子どもで、コミュ障のわたしは「無」になって、この場を乗り切るのが自分の精一杯でした。解散のときも、両親と一緒に地元にへ帰らず、ミナミへ寄り道。
母によると、両親も、妹夫妻も、会のあとはすぐ帰って寝ていたそうです。都会で、それなりに気を使って疲れたんだろうなとも思うし、家族にとって、焼肉の会の時間が幸せな時間であってほしいと願います。
そして……焼肉の会を乗り切った!とライブ配信のライバーに報告すると、よかったね!とか、はなまるだよ!とかいっぱい褒めてもらいました。ほっこりしました。安心できるところは家族だけと思わなくていい、世の中捨てたものじゃない、というのは、大げさですかね。
心を潰すことなく、翌日も無事にバイトに行けました。こうして焼肉自慢もできています!