20230826_2022年の茶鏡からの手紙

推しが卒業してしまう。今日明日が最後の鈴鹿なのに、さまざまな事情で見に行けないことに悔しさをおぼえていたら、2022年のわたしから手紙が届きました。

封筒の裏には「本人(2022年の茶鏡より)」と書かれていました。

昨年開催された「未来市」(今年は2回めで、昨年は記念すべき1回目だったのです)に設置されていた「未来ゆうびん局」で、「1年後の自分」に宛てて書いた手紙です。

宛名から文字がヘロヘロで喝を入れたくなるのですが、何を書いたか皆目覚えていないのでやや恐る恐る開けてみると、30代最後の年を過ごすわたしへの問いかけがいくつか書かれていました。

書き出しから「2023年もわたしは茶鏡さんなんでしょうか」はどういう意図なんでしょうか。
今年も引き続き茶鏡さん(または、略してちゃかさん)をやっています。

ちゃかさんと呼ばない人は、バイト先のスタッフと家族親戚ぐらいはないでしょうか。たまに本名で呼ばれると照れます。茶鏡さんは自分でふざけてつけたニックネームですが、10年以上長く愛される?ニックネームなので、必要な場ではどんどん名乗ります。「茶鏡」と検索するとSNSは出るのですが、ウチのサイトまだ出ない…と思ったらブログ記事が出てました。もうちょいやな。

ということで、まだまだ茶鏡さんをやっていきます。

次の問いは「なんか、自分は変われていますか?新しいことを始めれていますか?」とあるのですが、たぶん、良くも悪くも変わっていないと思います。その代わりと言ってはなんですが、新しい試みはけっこうやっています。イラストレーターに活動方針をふってみたり、グラレコのような図解を生かしたサービスを考えたり、その他eスポーツの仕事やバイトでも試みをしています。いまは抽象画にもどり?、未来市で販売するグッズを試行錯誤して作っています。未来市が終わったら、また新たな試みをする予定です。

なので、新しいことは来年以降もどんどんやっていきたいです。

これらの問いの下に「もちろんできてなくてもいいんですよ」と書いてあって、なんたらかんたらと問いかけをごまかすような文が続き、当時のわたしは1年後の自分に甘いのか、絶望していることを想定して慰めてるのか、よくわからず、モヤッとしました。2023年を結果的に良くするために2022年も頑張ってたようです。

最後に「誰かに良い影響を与えられる人になってますように」としめくくられています。
いい影響、与えられているんですかね。相変わらず発信は下手です。X(元Twitter)ではすぐにネガティブなことを投稿して慌てて消します。わたしは(ほぼ)絵を描くことしかできないから、作品を通じて、明瞭なコミュニケーションがうまれたり、心で何かを見出してもらえたら、それでいいな〜とおもっています。

最近、みょうな夢のせいで朝の電車でひどく精神が不安定になり、バイト先近くのマクドに2時間引きこもるということがありました。今日も、バイト先のワークショップでいきなり発表を振られ、中身がスッカスカなことしか言えなくて悔しい思いをしたので、わたしって仕事に対して薄っぺらいし当事者意識ないよなあとこころのなかでむせび泣いてました。まだまだ修行が足りてません。

なんか、いい影響と言うか、前回書いた「たのしい」が、たくさん伝わる人間になればよいのですけどね〜。残念ながら自分を偽ってキャラを作れるほど器用じゃないんですけどね〜。

さて、わたしは今年30代最後なので、来年がきたら、40歳になります。
言っても誰も信じてくれないのはペラッペラだからでしょうか。四柱推命の先生によると40歳から伸びるらしいので期待です。しかし、ガチで心身の健康がかなりまずいことになっています。

来年のわたしには、手紙を出す前に「いのちだいじに!」と未来の魂に向かって叫びます!