20230918_NPOにやってきてまる3年

先週、大阪のNPOに、アルバイトで入職してまる3年を迎えました。

これは、入職から約1ヶ月後、当時のマネージャーと、産休に入る先輩スタッフと行った豪華ランチ。とっても懐かしい。

最初は週3日だったのが、いろいろ無理を聞いてもらい、いまは週5日1日6時間で働いてます。

発達障害のわたしがNPOで3年働いたぜ、と、ドヤ顔で言うつもりはありません。たまたまです。団体で働くしくみや周りのスタッフに恵まれて、なんとかなっているのです。たぶんわたしを好く思っていないスタッフはいると思います。それは、ふつうに、仕方のないことなのです。

すこし具体的なことを書きます。
コンプライアンスというよりかは身バレが問題になるかもしれません。特定できても、この記事は単なるバイトが働いた感想、と思って読んでほしいです。


団体との出会いはハローワークの求人で、お役に立てそうなポジションであったことから持ち帰り、団体のHPをみて驚いたことが門をたたいたきっかけでした。

それは、簡単に言うと、企業に就職しても出産を機に仕事を辞めてしまう女性が多いこと。
子育てを取り巻く問題の中でも大きな課題は「子どもが病気をしたら預け先がなく、休まなければならない」こと。周りの目が厳しくなり、有休がなくなり、椅子がなくなり、やがてクビになってしまう、なんてこともザラにある現実。

どうして、子どもを育てているだけでも世の中に貢献しているのに、企業で働き、まず稼ぎ、そしてやりたいことやキャリア形成、自己実現をしようとしているようなひとが、こんなやりきれない思いを抱えないといけないのか、という疑問が湧きました。わたしにとって、こんなめっちゃ凄いひとたちなのに。

障害者とは異なる、生きづらさ。

子どもが好きで保育業界で仕事がしたいというよりは、この生きづらさをなんとかしたいという思いがあったのです。ですので、当事者でないことは、マイナスに働かないかと。面接で最初にした質問は「独身で子どももいませんが大丈夫ですか」でした。

このとき、障害を明らかにして面接を受けました。(障害者雇用ではありません)
配慮をお願いするというより、後でトラブルになりバラすことになるとややこしいと思い、「頑張りますが、慣れるのには時間がかかります」とめちゃめちゃフィーチャーした気がします。

晴れて採用が決まり、産休を控えた先輩スタッフの引き継ぎを受けるのに必死で、組織がどう回っているか、周りのことがわかるまで相当時間がかかりました。どうしてこの団体のスタッフは老若男女問わず優秀な者ばかりなのだ、という焦りを覚えます。それはいまも感じていて、はやく追いつきたいと願っています。

入職からちょっと経ちざっくりした目標をたてました。
「3年で、中途半端な自分を脱出する」
「次に進むときのために、勤続年数を伸ばす、まず3年働く」

目標をたてたのは、あと3年で40歳になるというのに、フリーランスとの兼業で働くつもりがうまく行っておらず、というよりも何の強みもない自分が辛くて、30代のうちになんとかしたいという思いからです。


ハイ、3年経ちました〜!

体調崩して休んでしまうというそもそもの部分で迷惑をかけたり、社員を目指すのは難しいと言われたり(そらそうだ)、Webへの苦手意識に対してトップから指摘が入って背筋が凍ったりしました。

それでも自分の持っている力が徐々に認められるようになり、広報物やバナーのデザインやWeb広告、メルマガの実装(やったこともないことを強引にやるのはけっこう得意技です)をやっています。ガチの人と比べると全然まだまだなんですが、団体が求めるクオリティには、と、頑張ってやっております。図解の才能をどっかで活かそうということで、グラレコもやらせてもらいました。

得意なことばかりやってるわけではなく、苦手なこと(電話かけとか)をやって消耗したりもするのですが「得意なことと苦手なことのバランスを取っていこう」とありがたいお言葉をいただいております。

コミットメントのところはまだまだで、わたしはどうしても当事者ではないし保育業界にいたこともないしのマイナスからのスタートでしたが、まだまだわたしが捉えることができる「事業に対する解像度」は低く、未だに薄っぺらい意見しか言えてないです。

その辺では、団体とは関係ないですが良い出会いも。ライブ配信で、同年代の「ワーママのライバー」に出会いました。なぜか配信に頻繁にお子さんが登場するちょっとバタバタした感じが、わたしの中での、子どものいる暮らしのイメージが、大きく膨らみました。ライバーさん、お子さんも含めて大好きです。あとは、子どもの病気をテーマに語るパパの飲み会に潜入したり、NPO広報の勉強会合宿にも参加したり、隠密活動もしています笑


では、ひとしきり3年経った今を語ったところで、次の目標をたてます。
目標はすべて達成できたかはわかりませんが、ひとまず、3年働いたので。

「文章が書けるようになる」
「宙ぶらりんにならず、団体にコミットメントする」

下のはなんとなく想像できそうですが「文章が書けるようになる」、これ謎ですね。
入職して発覚したのが「文章が書けない」ことで、これは引き継ごうとした先輩スタッフを最後まで悩ませ、未だブログやメルマガを書かせてもらえません…。

「言語化する」ことを大切にしている団体なので、これができないのは実はよろしくないのです。今は視覚表現でのアプローチを試みていますが、その試みは辞めずに、自分の意見や団体のメッセージをみずからの手で言語化したいという気持ちが密かにわいています。最近メルマガのドラフトを書いたりメッセージ配信の修正も減っているのでのびしろがありそうです。

それができれば団体の「事業に対する解像度」も上がる気がするんです。

社会人としての素養(議事録取りや見通しを立ててスケジュールたてやタスクを割り振るなど)も上げたいです。ただ言われたことしかできないのはなおさないとな。障害特性が邪魔をしている部分もあるので、そこは整理をして、自身での対策や、団体への配慮のお願い(お願いベース)を再考しているところです。できれば、長く働きたいので。


写真の豪華ランチを奢ってくださった、入職時のマネージャーが「茶鏡さんの、最後までやりきるところ、信頼してる」と言ってくださったのずっと覚えています。ちょっとひねるとわたしのいいところは粘りなのです。そういうところは大事にしていきたいなあと思いながら、明日からも頑張ります。

またバイトの話をするかもしれません。お付き合いくださいませ。