20240503_25年ぶりに小説を書きました

こちら、JR奈良駅内のスタバのテラス席からの風景ですが、小説はここで書いてません。おうちで書きました。また作品は奈良が舞台ではありません。

約25年ぶりに小説を書きました。約1400文字なのでブログ1記事分くらいの短編です。
カクヨム」というサイトに試験的に公開しています。よろしければお読みいただけるとうれしいです。スマホで開くと途中からビューワーを開くというボタンが出てきて紛らわしいですが、アカウントやアプリがなくても読めます。

こちら↓のリンクからお読みください。
カクヨム「夢のほがらか新聞」

雑務ばかりやって本当に首の皮つながってる?
大手Webメディア「ほがらか新聞」に、デザイナーとして入社した潮田。激務の中で、できることを探していたら、雑務をやっていた。本当にこれでいいの?――筆者が25年ぶりに書いた小説で、見た夢を膨らまして書いたものです。

カクヨム「夢のほがらか新聞」

内容は、寝ているときに、ほ○日刊イ○イ新聞で働く夢を見て、それをもとに膨らませ、小さい物語に仕立てました。テーマは、大きな組織で何もできない苦しみと、ちょっとの救い。完全にフィクションです。20代のときに文章教室に通っていたときがあり、エッセイみたいなものは書いていましたが、架空の世界と人物・物語を文字に起こす小説は学生時代ぶりです。読むことも気づいたらなくなっていました。

わたしは発達障害の特性もあり、自己流の言葉を話します。わたしのリアル知人や、このブログの読者様は、察してくださっているかもしれません。日本語(奈良弁・関西弁)が母語ですが、なんとなく、外国語を話しているような感覚です。少し慣れてきましたが、特に会話が苦手で、通じる・通じないのレベルで話すので、共感やリズムで話す人とはコミュニケーションが取れません。

自己流の言葉を使う弊害は、会話だけではありません。このブログは、読みやすさなどを無視して書いている単なる日記帳なのでまだ良いです。「ライティング」、いわゆるターゲットのために「発信」する文章が書けないのです。仕事で、書くことが求められていましたが、ほぼほぼ、書ける人におまかせ状態になりました。数百文字の簡単な文面もひっくり返るレベルの朱が入ります。

そんなライティングに対する苦手意識を持っているわたし、なぜかカクヨムのユーザーである知人に誘われて、小説を書いてみようという話になりました。小説を書くときは、登場人物の設定やプロットを書くのですが、難しいので、まずネタは見た夢で覚えているものを膨らますのがいいなと思い、ドラフトを作成し、そのまま一気に書き上げました。

作成したドラフト(小さくしてます)

自分で書いたものをそのままカクヨムに公開するのは恥ずかしくなってしまったので、誘ってくれた知人にチェックを依頼し、整えて完成、公開しました。

思い出したことがあります。文章教室では、自分の経験していないことは書けない、暮らしを見つめ直して新しい可能性を見出す、ことがコンセプトで「おんなじことを何回も思い出して!」と口酸っぱく言われたことです。頭の中の情景を明瞭にしていく作業。最初は何を書けば良いのか戸惑いましたが、いつしかわたしは、小学生の時のことを書いていました。しんどい思い出を清算したかったのかもしれません。

学生時代に書いた小説は、好きな漫画やゲームのパクリ合体で、自分の引き出しだけで書いていました。若気の至りですかね。それはそれで良いのですが、本来、小説・フィクションを書くのは、物語を通して伝えたいことに沿って、知らない・経験していないことは誰かに話を聞いたり、イメージを膨らませたり付け足したりなどして、丁寧に練りあげて作られていくものだと、考えています。これはライティングも似てそうです。

25年ぶりに書いた小説は、夢の中での経験をもとに書いています。膨らませていく過程で自分が悩んだり苦しんだりしたことを織り交ぜつつ、物語に登場する社長なら、主人公になんて声をかけるだろうかと考えました。社長との会話は膨らませた部分ですが、夢、というキーワードが出てから案外スッと出てきました。本当に社長が語りかけたかのように。

そういえば、同人誌活動をテーマにしている昔のゲームで、漫画を描いているヒロインのひとりが「漫画を描くときは登場人物が話しかけてくる」と言っていて、天才やん、ってなったことがあったことも、思い出しました。物語を作るのは、ほんとうに奥が深いですね。

また、気が向いたら、インパクトの強い夢を見たら、書いてみようかな。