20240120_悪夢と小説

こうやって広げて寝るから悪夢見るねんのイメージ。広げないけど。by写真AC

年末から風邪を引いて、長く引きずってたせいか、悪夢を見ることが増えています。
悪夢で多いのは過去の夢で、時代をシャッフルして過去に出会った人物たちが同じ教室の中にいる、みたいなもので、不愉快ではあってもまあまあ、すぐ忘れます。
ところが最近、ストーリーが脳裏に焼きつけられたまま目覚めて、身体がガッチガチになった明らかに「悪夢だ」という夢を見ました。

海外旅行に行っていました。アジアで、多分韓国?。
経緯は分からないが、どうやらえらい人の情報を握ってしまい、現地の仲間とともに公安(といっていいかわからないが国家組織に違いない)に狙われ、謎のレトロな屋敷(観光地かもしれない)で、捕まりました。公安の人に何発も銃で撃たれ、地面を這うわたし。逃げ回る仲間が見つかりそうなるのを見て「逃げて〜〜!」と叫ぶ、また身体の何処かを撃たれる。おかしいのが、なぜか意識ははっきりしており、生命はあったまま。傷口の不快な感じはあっても、痛みはよくわからんくなってたのかもしれません。公安が「こいつは生命力が強すぎる!」となったらしく(現地語がなぜわかるねん)、大きな点滴のような容器に入れた液体を運んできて、注射針で刺そうとしたところで「注射は嫌だーーー!やめてくれーーー!」と叫びまくっていた…

ここで目が覚めました。22時ぐらいだったかと思います。あわてて夢占いを調べましたが、状況の情報量が多すぎて何を信じればいいのかわかりません。霊柩車の夢以来の、印象深い夢でした。

風邪は快方に向かっていても、なんとなくしんどい日々が続いてます。

公安に撃たれる夢の時期と並行して、小説を読みました。
青山美智子さんの「猫のお告げは樹の下で」という本。これは自分で手に取ったものではなくプレゼントされたものです。読書の習慣を復活させようと、通勤電車の中で読んでいたら、気持ちの良いストーリーでどんどん読み進められました。

細道の奥にある神社にいるおしりに星のマークがついた猫。出会う人出会う人にタラヨウの葉に刻まれた謎のお告げを落としていく。神社にやってきた7人の迷える人間たちが、お告げに導かれていくそれぞれのストーリー。お告げの真の意味に気づいたときに、物語が、主人公が動き出し、世界が変わっていくのです。

内容はネタバレになるので基本割愛しますが、お告げの導きによって、主人公の視界が広がったり視座が変わったりして、どんどん世界が変わっていくのが気持ち良く、最後やさしい気持ちになれました。一番好きなのは、推しが尊くてお父さんクサイと言い出した思春期の娘をもつお父さんの話です。お父さんやジジイが大切な人のために頑張るところは味わい深いです。この本をわたしはどんな人に勧めたいかというと、閉塞的でカチンカチンになっている人かな。あ、それはたぶんわたしだ。

「猫のお告げ〜」を読んで、調子に乗ったわたしはもう1冊チャレンジし始めます。今度は小説ではなく、読書体験に関する本で、まつむらゆうこさんの「惹かれる本は私をうつし 出会う本が私をつくる」。これは自分で買いました。わたしと同じく、読書から離れてしまったまつむらさんの、伊丹にある書店「ブックランドフレンズ」の店主さんとの関わりを通して向き合い方が変わっていったという体験記です。その中で驚いた一節があり「物語を通して人生を疑似体験できる、頼れるもの」と。

そこまで、物語を深く味わうのか〜〜〜と。わたしにとって小説はエンターテイメント的なもので、テレビや映画を見る感覚で、主人公たちの行く末をハラハラドキドキしながら見守る感覚です。二時間ドラマで犯人を予想しないタイプですが、頭の中で情景や心理を想像する(あまり、できていませんが…)のは、小説ならではかもしれません。

小説は著者の人生から糸を紡いで生まれた物語。
悪夢は自分の人生から湧き出した潜在意識のようなものが生む物語。
それぞれ、体験しなければわからない、今の自分とは別の人生の疑似体験。

小説と悪夢を一緒にしないでほしいと言われそうですが、例の夢を見ていなければ、わたしは韓国に行きません。「猫のお告げ〜」を読んでいなければランボルギーニのプラモは触りません。

物語を味わう奥深さを再発見したので、当初マーケティングの本とか読もうと思っていましたが、小説などコレまで読まなかったジャンルの本も読んでみたいと思いました。
積読もたくさんあるので、2024年は読書を楽しみますか〜。