20240314_生成AIのせい?で萎えた

ついにiPadのキーボードを買いました。わたしのiPadが古い機種なので、中古。使用感がありますが、きれいなものを買っても、どのみち自分がきたなくしてしまうので、使えればOK。これまで、3COINSで買った1500円(500円玉3COINSですね…)のキーボードを使っていたのですが、Windows用で使いにくく、iPadのために作られたものはやっぱりいいなあ。スタンドにもケースにもなります。これでiPad置きも要らなくなるなあと思っていたら、踏んづけて壊しました。

これでブログ執筆や制作をするぞ〜と意気込んでおりました。身体はだいぶ元気になったはずなので。
ところが全然やる気が出ません。というか、萎えてしまっております。

75000円取れるイラストレーターに嫉妬するのは「普通」。
所詮、10000円(友達価格)でも後から文句言われる実力の絵描きなのですし。

無料または安価で生成して利用できる「AIイラスト」を、みんながじゃんじゃん生成して楽しんでいるさまは、芸術家としては堪えるものがあります。ちょっと前なら「似顔絵描かせて」と声がかけられたものを、今はそれがとても言えません。よりきれいな絵がパパッと作れるのだから。

ELEMENTS展でF30号の抽象画を描いていた時は、「AIなぞ知らん!」という勢いで描いていました。バックボーンやコンセプトなど全部わからなくても、原画の美しさだけでも感じ取って楽しんで欲しいのです。そうこうしていうるうちに、絵の具で描いた絵の層も読み取って学習する技術が生まれるのかもしれません。それは避けられないことで、だからこそ、見る側の目と頭を養ってほしいと思っています。ELEMENTS展で話したAIに対するわたしの考えはこちら。赤字で書いてます。

とはいえ、見る目と頭を養え、というのは、独りよがりな願いです。世の中は、より簡単で便利な方に流れるようにできています。割り切って付き合えば便利に活用するのがかしこい選択だと思っています。自分の創作は自分の創作、AIに任せる部分は任せる。例えばELEMTENTS展でデザイナーさんが「仕事のためだけに使う」とお話しされていました。仕事だけに使う、文章を書くときだけに使う、大切なものづくりには使わない、自分なりの線引きをすればいいと思います。

それでいうとまだわたしは線引きができていません。
例えばわたしはまだChatGPTを利用したことがありません。使えたら便利なんだろうなあと思いながらも、使い方のイメージができていないのと、ミョーな職人気質やビビりが邪魔をしていてまだ使う気にならず。一度、イラストのモデルに人物モデル困ったときに「AIで生成してみたら?」という提案をもらいCanvaの機能でやってみたんですが、よくわからないまま…。

自分で線引きも割り切りもできないまま、ぼーっと数ヶ月過ごしていたら、いつの間にかみんながAIイラストを生成して、あげく人にプレゼントして喜ばれていて、人間が描いた絵の価値ってなに??と悶々としてしまっている今日この頃です。人間同士の競争に、こざかしいテクノロジーが参加した。と捉えれば、無視してもくもくと下手な絵を描き続ければいいかなとも考えられるんですけど、絵を描くことはわたしにとって誰かによろこんでもらえたり楽しんでもらう、コミュニケーションのための大切な行動で、それをAIに奪われた感じがするのです。自分より実力のある人間ではなくて、テクノロジー…機械に奪われるのが嫌。

そんなことを言っていても、また描くときはいつか来るのか来ないのか、そのあたりは自分次第。いつんなったら、わたしは絵を描く気力を取り戻せるのかな…。

(自分の作品が学習に使われてしまうという危機感とは別の課題意識であることを明確にします)